私は探偵である。
本名は探田偵介48歳、電車通勤。気さくに探偵と呼んでほしい。
謎に包まれた会社、スマイルブームの社員にひそかに接触しその暗部を明らかにするのが探偵の受けた依頼である。さいきん基本設定を忘れぎみなので、あらためて書いてみた。
本日探偵がスマイルブームスタッフ達から聞き出す問題とはこれだ。
一番好きな児童文学は?
『ハリー・ポッター』最終巻(日本語版)が発売になったこの日、彼らスタッフの中での『ハリポタ』購入率は実にゼロであった。初版180万部といわれるこの本に不自然なまでに興味を示す様子のない彼ら……何かあると探偵のカンが告げている。
探偵は極秘裏に聞き込み調査を開始した。
証言A
「普通すぎるかもしれないけど、『ナルニア国ものがたり』ですかねえ……」
世界で一番有名な児童文学のひとつに数えてもいいだろう。近年映画化されたが……
「映画版の話はするなあああ! 映画は映画、原作は原作と分けて考えるんだ! 映画を見て原作を読んだ気になるとかさああああ!」
突如として興奮したスタッフから、これ以上の証言は聞き出せなかった。映画版になにかあったのか。どうやら事件の闇は深い。
証言B
「えーと、『攻殻機動隊』……」
児童文学の話でそこまで飛べるのは、かえってすごい。
「ぜんぜん記憶が……あ、『おむすび』…なんとか」
それはおそらくいま思いついた「子供のころ読んだ本」であって、少なくとも一番好きな児童文学ではあるまい。タイトルも思い出せてないし。
証言C
「水滴の子が冒険する話なんだけど……『しずくのぼうけん』?」
探偵は寡聞にして知らなかったが、あらすじを聞くかぎり英会話教材として有名な『家出のドリッピー』のようなストーリーなのだろうか。
「あ、それもやった」
やったのか。さすがオーソン・ウェルズ朗読である。
「でも途中でやめたけど」
学習教材の限界だろうか。
証言D
「『悪の十字架』大好き」
まだほの暗い払暁を舞台とし、都市生活の暗黒面をえぐるソリッド・ホラーだが、要するにダジャレの小話だろうが!
「『恐怖の味噌汁』とか、『呪いの三輪車』とか」
わかった、子供の頃好きだったんだな。もういい。もういいんだ。
証言E
「『モモ』以外にないね」
そこまで思い詰めていたとは。
「あとは……読んでないけど『イワンのばか』かなあ」
待て、その発言には重大な齟齬がある。
「ゲーム版がすごくイカしてるんだぞ。『アート・オブ・ウォー』にも出てくるしな」
ゲーム『クレイジーイワン』のイワン・ポポビッチ中佐は『イワンのばか』のイワンとは別人だし、『アート・オブ・ウォー』のイワンもバカだが別人だ。この証言……信用はならない。
証言F
「本を読んでなかった、っていうのはダメですか」
もう少しファイトを見せるべきだ。
「好きな本……好きな本……トラウマになったのは『ねないこ だれだ』ですけど」
ファイトとは正反対の証言だったが、たしかに『ねないこ だれだ』は、ややブラックな味のあるラストを怖がる子供も多いときく。幼児期の恐怖体験──ここに事件の鍵があるのだろうか。
「読んだことはないんですけど、『ズッコケ三人組』っていうのはどうですか」
どうもこうもあるか。
証言G
「子供のころ読んだといえば、図書館にあった……何だっけ、世界が終わりそうになる……」
ひさびさに児童文学の香りただようあらすじだ。ファンタジー物語だろうか。
「あ、『ノストラダムスの大予言』」
子供のころ流行したけど、それは違う!
「他に読んだのは『雪女』とか」
たしかに小泉八雲の民話集も小学校の図書室につきものだ。日本に古くから息づく物語はどのような感慨を与えたのだろうか。
「『こわいなー』って」
よ、ようち!
証言H
「『オズの魔法使い』!」
おお、まともだ。しかし気になるのはどうも発言の裏付けがあいまいそうなところである。探偵はこころみに『オズの魔法使い』のあらすじを聞いてみた。
「……何人かの仲間といっしょに、……なんか怖い人のところに行くんだけど、でも実はいい人だった、……みたいな話」
これほどいい加減な要約もなかなかあるまい。この要約の中に本当に「オズの魔法使い」が登場していると言えるのかどうかすらあやしげである。
「だって紙がすごく分厚くて硬い絵本で見たっきりだし」
そっちかよ!
調査報告
- 児童文学以前に幼少時に本を読んでいない子が多い
- こんなことで日本の児童教育は本当に大丈夫なのか不安をおぼえる
- ちなみに例の分厚い紙の絵本はどうやら「ピクチャー絵本」などと言うらしい