ブログマガジン社長の書類ツクール情報 (SPECIAL!)ツクール情報 (SPECIAL!)

ブリスター・ジョンの『あの頃8ビット・マシンと』

8ビット・マシンが世界のすべてだったあの時代。若者驚愕、中年感涙! 天下御免のオールドゲーマー、ブリスター・ジョン(日本人)による回想録。

あの頃8ビット・マシンと

前編のあらすじ:
 8×8ドット(実質7×8ドット)。1986年に発表された幻の公開フォント「関野フォント1号」。
 もしかして関野フォントの遺伝子はエニックス作品に息づいているのでは? その疑問をはらすべく、僕は当時のエニックスのゲームのひらがなフォントと片っぱしから比較してみることにしたのである。
 とりあえず『ドラゴンクエスト』には関係ないことはわかった。次はパソコンゲームだ。仕事をおろそかにしつつこんなに意味のない検証作業をしているのはいま世界でも僕ぐらいのものだろう。


 8ビット機全盛期、ほんの2、3年(もっと短いかもしれない)の間、「パソコンでマンガっぽい絵を描く」ということがちょっとしたブームだったことがある。
 今だってそうだって? いやいや今PhotoshopやComicStudioで描くようなたぐいのものじゃない。かといって3Dのレンダリングとかでもない。
 使用ツールは? と聞かれれば、たいていの場合「特にない」としか言いようがない。あえて言うならBASIC言語、それも各機種専用の、そのマシンでしか動かないやつだ。
 画像形式は? なんて聞かれたらどう答えればいんだろう。やっぱりBASIC言語、それも各機種専用の。

 いったいあのとき何が起こっていたのだろう。いや、もっと言えば何を考えていたのだろう。


 かつてアーケードゲーム『ゼビウス』は日本中のゲーマーをとりこにした。
 あの世界をどうにかして自宅に持って帰れないかと日本中のパソコンユーザーは考えた。
 その時できるかぎりの全てがプログラムに込められ、ついに夢の「家庭用ゼビウス」X1版は完成した。
 歓喜の声は、その後あっというまに驚愕と失望のうめきに変わる。X1版ゼビウスは、安物のおもちゃにあっさりと敗北したのだった。
 そのおもちゃの名前は『ファミリーコンピューター』。それはまだファミコンが子供のおもちゃだった頃のお話。


 よく言われるのはかつて'60~70年代、子供誌や漫画誌、はては新聞各紙のお正月版でさんざん語られた「未来」はとうとう来なかった、そんな話だ。
 21世紀の未来では自家用エアカーが空をとびかい、都市中に張りめぐらされた透明なチューブが高速ベルトコンベアーで整備され、テレビ番組は立体映像におきかわり、みんな機能的な銀色のピッチリボディスーツを着ているはずだったのだ。
 などと書いている僕はこの「夢の21世紀幻想」世代よりちょっと後の生まれなんだけど、それでもこうスラスラと書いちゃえるあたり、この幻想はなかなか根深い。
 ところで、そんな8bit世代の僕にも未来の世界の夢はやっぱりあった。ちょうど'80年代の「パソコン少年」はPCの劇的進化をリアルタイムで目の当たりにした世代。パソコン雑誌の新技術ニュースを読んでは、いつかやってくるであろう未来に心おどらせたものだ、が……あれ、いま思うとどんな未来像だったっけ?


 前回に続いて今回も、今から20年前(1989年前後)にパソコン少年たちが夢見た「未来」について検証する。
 けっきょく夢は夢でしかなかったのか? それとも夢が叶う日はやって来たのか? 20年の時が過ぎたいま、あの日の夢がそもそもどんな夢だったかを、当時のパソコン雑誌片手に思い出しながら確かめていくのだ。
 いま思ったんだけど、こういうふうに書くとなんだか『20世紀少年』っぽいですね、この話。


 この連載もアドベンチャーゲーム、ロールプレイングゲーム、アクションゲームといろいろなジャンルについて書いてきた。この流れから言えば、昔のシミュレーションゲーム(SLG)事情の話もすべきかもしれない。
 かもしれないけど、そう思ってふり返るに僕のゲーム歴からSLGがぽっかり抜け落ちていることに気付く。あ、あれ!? こんなにもSLGやってなかったっけ? おかしいなあ、ゲームの食わず嫌いはしないタイプでいたつもりなんだけどなあ。

 当時、1980年代はSLGの歴史においても大きな転換点であった。と、聞きかじりの知識で書いています。しかたないじゃないかその歴史に参加してなかったんだから。なんだか数多くの名作SLGが生まれていたとかいう話は聞いているが、その程度なのが聞きかじりの限界。
 そこで今回は個人的な知り合いでシミュレーションゲームマニアのEさんに、飲みに行ったついでに僕の知識の追いついていない部分を教えてもらった(本稿中のシミュレーションゲーム知識に間違いがあるとしたら、それはEさんのミスではなくほろ酔い気分でメモ書きしていた僕の誤りや、会話を再構成する過程での僕自身の取材ミスである)。
 突然の新しい登場人物に読者のみなさんは戸惑うかもしれないが、簡単に紹介するとEさんはこの連載の例にもれず30代後半。物知りで話上手なので「山田五郎さんとか伊集院光さんの系統」とほめたらなぜか怒られた。映像畑の人で、スマイルブーム社の誰とも面識はない。……今さらだけど、変な連載。


 かつてパソコンが「マイコン」という呼ばれ方をしていた頃、あの1980年前半に起きたマイコンブームの熱狂をうまく言葉で伝えるのは難しい。終わってみてから思うに、あれは誰もが夢中というたぐいのブームではなく、もちろん品薄だとか価格高騰なんてあるはずもなく、たいていの人は「なんだか良く分からないマイコンとかいう物がこれからクるらしい」程度の認識だったような気がする。今で言えば××ブームとか△△ブームとかに似ているね(自主規制)。
 そういう薄めのブームの中であっても、しっくりハマる人というのは確かにいるもの。限られたごく一部の好事家、本当にマイコンにハマっていた僕らはその名も「マイコン族」だった。そもそも「マイコン族」と呼ばれたんだったか自称したんだったか、それも単なる分類だったのか蔑称や自虐だったのかもう記憶がはっきりしない。ちなみにマイコン族の中でも、かんじんのマイコンを持っていなければ「ナイコン族」ということになる(あまり洗練された感じのしない言葉遊びだが、すでに歴史上で起こってしまったことだからしかたがない)。
 なにしろマイコンは安くてもモニタ込み10万円以上が普通というしろものだったんだから、ナイコン族の多さも推して知るべし。お金持ちな趣味人や「これからの社会人はマイコンも使えんといかんな」と危機感(今思えばわりかし杞憂だった)にせまられた青年/中年層は買うだろう。だがブームの中核にいた学生層にそんな大金がポンと出せるわけもなく、必然的に僕らはナイコン族でもあった。
 ああ、マイコンさえ買えれば、好きなようにマイコンを弄れるのに!
 ところで、マイコンを弄るって、具体的に何をするんだ?


あの頃8ビット・マシンと

交信なう