前回に続いて今回も、今から20年前(1989年前後)にパソコン少年たちが夢見た「未来」について検証する。
けっきょく夢は夢でしかなかったのか? それとも夢が叶う日はやって来たのか? 20年の時が過ぎたいま、あの日の夢がそもそもどんな夢だったかを、当時のパソコン雑誌片手に思い出しながら確かめていくのだ。
いま思ったんだけど、こういうふうに書くとなんだか『20世紀少年』っぽいですね、この話。
■ おぼろげな未来、目の前にある未来
当時の『ログイン』誌には、国際科学技術娯楽年間(WASTED)という不定期連載が載っている。将来のゲームやハイテクホビーはこうなる!という理想の未来像を追う記事だ。
中にはゲームクリエイターの人たちにインタビューした記事もあって、未来のゲームはどうなるのか? そのとき作りたいゲームは? を聞いている。
作りたいゲームはそのまま作ればいいじゃん、という問題ではなく、数年後10年後先のハイスペック・新技術を利用していま不可能なゲームを作るとするとどうか、という視点なわけ。
読んでいて面白いなと思ったのは、膨大なデータや人工知能を使った「現実」のシミュレート、という視点が多くのクリエイターに共通していたことだ。
なんて書くと堅苦しいね。つまりは「本物そっくりな世界」であったり、「リアルなリアクションをしてくれるキャラクター」であったりということ。当時はグラフィックひとつとっても640×400ピクセルの256色表示がせいぜいという時代。RAMも記録メディアも容量に限界がありすぎて、写真を画像取り込み(それも劣化ばりばりなやつだ!)するのが最上級のリアルだった頃だ。
望まれていたのは、たとえばゲームの中で本棚のグラフィックが飾りじゃなく、本を手に取れて、その本の中の文章までがデータで入っているような世界。
敵が戦略や戦術を考えて、中にはマヌケな奴もいれば本当に賢くてプレイヤーをゆうゆう出し抜く奴もいる世界。通行人Aがただの絵じゃなくて、それぞれの仕事や生活のスケジュールに従って動き回っている世界。
主人公に殴りかからせても「ソンナ ヒドイコトハ デキマセン」とお決まりのメッセージが出るんじゃなく、怯えて逃げ出したり(その先にはそのキャラの家なり警察署なりがあったりする)、逆に本気で刃向かってきてアクションゲーム的なストリートファイトが始まったり、キャラによって千差万別な、そんな世界。
その中でそれぞれの謎や目的を見つけたり、なんだったらその世界で定職を見つけてその暮らしをエンジョイしてもいい。
つまり今で言うなら『シェンムー』か! などとオールドゲーマーの限界をはからずも露呈してしまったが、もう少しきちんと今で言うと『グランド・セフト・オート』シリーズ、『オブリビオン』や『Fallout 3』なんかがこのアプローチに近いってことになるだろうか。いや、本音を言えば筆者はオールドゲーマーだけあってこの系統をあんまりやり込んでないので聞きかじりの知識中心になっちゃうんだけど、そういうことだよね?(編注:大筋では間違ってないと思います)
そういえば『シェンムー』の発売は1999年。記事からズバリ10年後にまさしく夢想したコンセプトが実現して、さらに10年かけて20年前のミライが本当にスタンダード化したと考えると、なんだか時間の重みすら感じる。
もちろん20年前に語られていたミライがそのまま現実になったとはまだ言えないだろう。たしかにこういうアプローチを現実にうつすだけのハードスペックは得た。当時としてはこれだけで夢のような話だ。ゲームの中でオブジェクト同士を物理演算するなんて、想像の中でも登場してないくらいだもん。
でも、まだゲームの中で本を手に取ってもその中が何百ページも詳しく読めることはまずない。通行人Aたちはかなりリアルな挙動をするけれど、それぞれの生活や思考まで細かくプログラムされているかというと、そんなこともない。……っていう認識で合ってるよね?(編注:大筋では合ってると思います)
当時は「ハードの制限がなくなったとすれば、こういうゲームも夢じゃない」という発想だったけど、ハードの壁を突破した現代、今度は夢想を飛び越えて現実的な広大なゲーム世界を開発するリソースや、リアルなゲーム世界が「ただの日常」にならないようなゲーム的な面白さを考える時期になっている。……ということで間違ってない?(編注:そんなに不安なら最初からこのテーマにふれなければ良かったんじゃないでしょうか)
こういう諸問題もいつか解決されて、20年前に夢見たミライがいつか現われるんだろうか? それとも今がすでに当時の夢と現実の折衷点なんだろうか? 僕に言えるのは、少なくともこういうことをリアルに受け止めて考えることができる今って当時よりはそうとうミライなんじゃない? っていうことだ。
■ 追いこせ最新技術!
当時の「夢の技術」が今となっては時代遅れ、なんてことも珍しくない。
あのころLANはオフィスの革命だと言われていたけど、いまや無線LANのアクセスポイントがどこにでもある。
「20世紀中には普及するはず」なんてレベルで言われていたISDN通信も、いやあ本当に普及したなあと思う間もあればこそ、あっという間にADSLや光回線にとってかわられてしまった。ううむISDNさえ夢の一部だったあの時代、電話に使う電話回線をお借りしてデータ量の少ないテキストだけのBBS(掲示板)と電子メールでやりくりする「パソコン通信」がマニアのお楽しみだった時代から、思えばネットは遠くにきたものだ。
まだ研究段階の書き込み可能なCD-Rだが、実用化した時に違法コピーのモラルハザードが起きるのでは──なんていう当時の心配をよそに、記録メディアはいつのまにかさらに大容量のDVDに置き換わって、ハードディスクに至ってはテラバイト級。確かに違法コピーはしやすくなったのかもしれないけど、今のところルールを守り続ける人たちのおかげで絶望的なモラルハザードは起きていない(と、僕は信じている)。
いつかは極薄・ハイビジョン画質に、と言われながらブラウン管にも性能負けしていた液晶ディスプレイは、もうテレビでもPCでも当たり前に使われている。
アクションゲームで遠隔地とのマルチプレイがゲーセンで……いや、家庭でさえできる世の中になるはず!と夢いっぱいに語られていた頃から20年、部屋から世界のどこかにいる誰かと気軽にFPS対戦してて普通な時代だ。
携帯デバイスなんかは、現実がミライを凄い勢いで追い越していったいい例だろう。だいたいケータイなんて、CDクラスの音楽が聴けてテレビが見れてX68000級(当時の物差し)のゲームが遊べて、いろんな情報を管理する機能があってネットワークにアクセスできて、そんでポケットサイズで無線電話って、そんなの20年前じゃリアリティなさすぎて未来予想図にすら登場してないよ!
だってほら20年前のログイン誌で「超伝導技術を使えば……」というまだまだ不確かな前置きつきで語られているのは、ファミコンのコントローラーに液晶画面がくっついたデバイスの想像図。こいつをいつのまにかサイズでも能力でも、定価1万2千円也のゲームボーイミクロが追い越しちゃっていた。
■ 少年の瞳に映ったTRON
そうそう、当時の「未来」について考えるなら、TRON計画のことを忘れちゃいけない。
ちょっと詳しい人なら「TRONだったら今は世界中でITRONが組込システムに使われてるし成功した方じゃないの?」と言うかもしれない。しかし、あの時みたTRONの夢は、うまく説明しづらいがそういうのと違ったのだ。
そう、いわば、世の中のたいていの電化製品はTRONが使われるよ、空気みたいにTRONがあって当たり前で意識しない時代がくるよって、あれ? こりゃ現実にいま起きてることか。
いや違う違う、当時はもっと華々しいものを想像してたの。
1988年当時! 若き日の筆者ことジョン少年はパソコン雑誌を読んでいた! 科学誌とか新聞じゃないあたりがしょせんは少年である。ともかく、そこにはTRON計画特集。あるいはTRON計画の新たな発表。「ハイテクの未来はどうなる?」的な対談記事にもたびたび名前が出てくるTRON計画。読めば読むほど、すごいらしいのはわかるがそこ以外はよくわからない、というのがしょせん少年である。
OSとか分散コンピューティング環境とかオープンアーキテクチャとかマン=マシンインターフェースとか、今ならさすがにまあ、おぼろげになら分かる気はするんだけど、当時のジョン少年にはおぼろげどころの話じゃなかったのである。なにしろ当時はまだWindows 3.0も生まれてないころである。OSというものに触れたことも見たこともないジョン少年に、OSの話がわかろうものか(本当は僕が持ってたFM-7にも『OS-9』とか、ちゃんとあったことはあったんだけどさあ、あくまでも別売りで本当にパソコンをわかってる上級者のためのものでさあ)。
そんなジョン少年にとって、記事の中でよくわかるのは唯一TRONキーボードに代表される、ずばり見たままが即「最前線!」なプロダクトであった。
試作機の入力デバイスなんか今で言うタブレットで、ペンの筆圧検知したり消しゴム(型のペン)で消したり、それは見たことのない最先端技術でありアコガレでもあったわけ。
思えばこれもいささか誤解で、TRONで採用予定のデバイスの中に当時最新技術のタブレットがあったというだけの話──要するにTRONだからこのタブレットが使えるって問題じゃないってこと──だったんだけど、そういう目で見てわかるキャッチーな技術だけが「よくわかる話」だったんだからしかたないじゃない。
そして1990年には「TRON電脳住宅」が公開された。これがまたそういう「よくわかる部分」がやたらキャッチーなんだ。本当はどうやら住宅内の各機器をTRON規格で統一して統合的に管理した協調分散システムの実験だった(漢字ばっかりで分かりづらいと思いますが、書いてる僕もよく分かってないのでおあいこです)とか、そういうことだったらしいとは2009年のいま検索してみて初めて知った話。
そんな難しいことはわかりませんが、お風呂で電話やテレビが使えるとか、キッチンにモニタがあってお料理ガイドが表示されるとか、エアコンの動作がセンサーで自動的に調節されたりとか、部屋の照明が時間や好みに合わせて微妙に光量が変化したりとか、それすごく分かりやすい未来じゃん! あ、これ現代ではかなり近いことがわりと普通に行なわれているけど、ものすごく未来的なことだったんですよ。1990年時点では。
ジョン少年の目にはTRONはその思想とか分散コンピなんたらとかは知らず、ひたすらに最先端な未来の象徴であったのだ。いま思えばけっこうバカな子かもしれないぞ、ジョン少年。
TRONは少年の夢見た感じの未来をひっさげてはやって来なかった。
しかし考えてみればITRONは世界を席巻し、いま僕は仕事道具にエルゴノミックキーボードとタブレットを使い、お風呂テレビや『DSお料理ナビ』を利用してるわけで、あのころ夢見たミライがまんま実現してると言えば言えるのかもしれん。
■ 夢見ることもできなかったミライの話
今となっては信じられないけど、あのころ鳴り物入りの新技術として紹介されていたのがCD-I。
1988年当時では実機の完成はまだしばらく先か?という感じで語られてるこのマシン(厳密にはマシンじゃなく規格なんだけど、まあいいでしょ)。簡単にいえばCDの大容量を活かして美麗な動画と音声データをもち、それをCPUとOSで処理してソフトの形にして、コントローラで操作するっていう、えーとこれ言えば言うほどCD-ROMを使ったゲームマシンに見えてくるんだけど、当時CD-ROMを使ったゲームマシンなんて存在しなかったのでこんなまどろっこしい説明になるのだ。
世界初、家庭でCDメディアを使えるコンピュータ環境ことPCエンジンCD-ROM2が発売されるのはこの記事より半年以上あとのこと。当時はCD-Iこそ最先端の大容量デジタルデバイスだったわけ。
このとき問題は「CD-Iの能力で何をするか?」 実はこのへん、当時の記事を読んでもいまいち見えてこない。大容量で高画質で高音質で、インタラクティブに何をしたものだろうっていえば、まあ今となってはそりゃゲームにできるじゃんと思うけれど、くどいようだけどCD-ROM2も発売されてない時代。CD-ROM2でさえ発売後しばらくはとにかくムービーを流すためのマシンのような扱いだったんだから、使い道に困るのも無理はない。
おもしろいのがCD-Iの先陣を切っていたアメリカA.I.M.社(後のAIM連合とは無関係の、アメリカン・インタラクティブ・メディア社)のマーク・ファイン氏とのインタビュー記事。
「ログイン では、実際の話として、今までのメディアの延長ではないCD-Iのソフトとはどのようなものになるんでしょうか?
ファイン 音楽の例でいいですか。僕はもともと音楽畑の出身なので(−中略−)
ログイン ほかにはどんなアイデアがあるんですか?
ファイン これも音楽ものですけど、(−中略−)
ログイン もうちょっとコンピュータゲーム寄りのネタはないですか?
ファイン あまり関係ないかもしれませんが、今、(−中略−)
ログイン もっとストレートに今のゲームが発展したようなものっていうのは考えてないんですか?」
アスキー『ログイン』1988年4月号 P.365より
しつこいよ! と、ファイン氏も思ったかもしれないが、なんともかみ合わないインタビューで笑っちゃうような困っちゃうような。最後の質問にファイン氏が答えたのは、
「ファイン CD-Iには600メガバイトの容量がありますから、ゲームも本当に洗練されたものが可能ですね。ただし(−中略−)600メガバイトのスプレッドシートやマップが広いだけのRPGなんてできたら困りますよ。特にコンピュータゲームを開発している人達は、テクノロジーは理解できるけど、今までとまったく違う新しいものを作る気持ちに欠けているとこがありますね。」アスキー『ログイン』1988年4月号 P.365より
すごい映像と音楽がゲームに使える、それはたしかにすごい。でもそれで本当にゲームが面白くなるのか? という迷いは20年後の今も変わらぬ悩みではあるけれど、当時はそのヒントもまったく見えていなかったみたい。
もうちょっと先になればこの大容量という手に余るしろものも、ムービーであったり音楽であったりポリゴンテクスチャであったりと幸せな発展をすることになる。でも、これは初代プレイステーション発売より6年ほど前(!)の話。
CD-Iにどんな未来像を見ればいいのかわからなかった当時、CD-Iは実機の完成とソフトの充実にもたついている間にPCエンジンに先を越されてしまい、いっぽうその後のサターン・プレステの次世代ゲーム機戦争に参加することも許されず、歴史のあだ花のように散っていくのであった。
などと歴史小説っぽくまとめてみたけれど、見方を変えればCD-Iの「大容量インタラクティブマシン」という理念そのものはマシンを超えて現代に生きている、と言えないこともないのかも? ううむ、そういう意味では夢見た(というか、夢見きれなかった)ミライはやっぱりやって来ているのだった。
■ 月長石のミライ
冒頭で挙げた漫画『20世紀少年』には「2000年て、もっと……ものすごい未来都市になってるはずだったのにな。
」と、とうとう実現しなかった'70年代式バラ色の未来像を懐かしむセリフがある。
かたや'80年代のパソコン少年にとっては、案外ミライはやってきていたみたい。
まあ確かにサイバーパンクSF的な、メカと仮想現実な「近未来」にはならなかった。だけど街中でオーロラビジョン(昔は「ジャンボトロン」が夢のハイテクだった!)が宣伝を流しまくり、コーヒーショップではみんなノートPCを開き、駅で電車でケータイやDSやPSPをみんな使ってる現在って、そう考えるとまるで映画『ブレードランナー』ばりだ。SFだよSF! 『ブレラン』の舞台は2020年だよ!
あんまり現実的すぎて、その時が来た日には見逃していたりした。いいかげんiPodが出た頃に「あれ、もしかしていま未来?」とか思ってもよかったんじゃないのか。未来というのは静かに時間をかけてやってくるので、気付かないうちに通り過ぎてたりするのだった。
とうとう本当に来なかった未来の話としては、当時のパソコン少年ならきっとなにかしら心当たりのある話で「すごく楽しみにしてたあの『(みんな好きな名前を入れよう!)』はなんで発売中止に……」というのもあるが、まあさすがにこれは夢のミライ像としてはちょっと違うか。
検証としてはアンフェアだったかなあ、と思うのは、今回僕がテキストにしたのがPC雑誌に載ってたけっこう現実的な未来像というところだ。いわゆる'70年代子供誌的な、少々リアリティは無視して描いたバラ色の未来像とはちょっと違う。
本当ならあのコロコロコミックの読者層向けに描かれた学習漫画『こんにちはマイコン』(1982年)あたりも土俵に持ってくるのがフェアなんだろうけど、残念ながら僕はいつのまにか手放してしまったのだ、あの本。
……いや、でも『こんにちはマイコン』の未来像の中でいちばんインパクトがあって僕の記憶に残ってるアレ。アレは実現してるぞ!? 子供心に「そりゃさすがにリアリティねーよ!」なんて思ってた……アレ。
自動で動いてくれるロボット掃除機って、それ今まんま使ってるじゃん!