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ブリスター・ジョンの『あの頃8ビット・マシンと』

8ビット・マシンが世界のすべてだったあの時代。若者驚愕、中年感涙! 天下御免のオールドゲーマー、ブリスター・ジョン(日本人)による回想録。

Let's Go サッポロバレー(後編)

 前回のあらすじ。
 「当時」を知るには当時のそのままをドキュメントで書くのがいちばん手っ取り早い。
 1980年後半のサッポロバレー(当時そんな言葉もないし、実を言えば誤用でもある。いいんだ僕はジュンスカの『Let's Go ヒバリーヒルズ』っぽく書きたかったんだもんね)を駆ける著者ことジョン少年。丸井今井のパソコンショップ、九十九電機を後にして向かうのは、はたして……?

■ こんなに種類があって誰が買うんだ?

 大通駅名物のたいやき屋「福や」と立ち食いそば屋「ひので」(ちょっと待て、名物か? おいしいけど)の匂いを横目に、その奥にある本屋「リーブルなにわ」へ。
 本屋といってもここはひと味違う。地下1階の入口そば、パソコン関係書のコーナーが熱い。一通りの雑誌が常に揃っているし、初心者向けのやわらかめなプログラム指南書もあるよ。店の奥では専門書もなかなか充実している。札幌の本屋といえば古本新刊あわせていろいろディープな世界だったりするのだけど1980年代のパソコン少年的にはここがベスト。
 『I/O』誌はぶ厚い。何のためにこんなに厚いのかわからない。『マイコン』誌も厚い。どっちも誌面の3分の2は広告だ。『ASCII』は何が書いてあるのかさっぱりだ。『RAM』はちょっと中級者向けとはいえ、それでもさっぱりだ。
 そんな初心者の僕は『ラジオの製作別冊』……もとい、ベーマガ(『マイコンBASICマガジン』)を買って次の店に。まあどの店にもベーマガはあるんだけど、『ログイン』とか『Beep!』とか新興の面白い雑誌もチェックしておきたいのさ(※ちなみにこのタイムトリップは「当時」というあいまいな時間を通過しているため、ところどころ微妙に時間軸が前後しています)。地下2階の話題書のコーナーにはアドベンチャー・ゲームブックの新刊も置いてあるしね。

■ ようこそ魔窟へ

 信号機が奏でる「通りゃんせ」とかカッコーの鳴き声とかをBGMに(よく考えたら地上に出たのは今日初めてだぞ)、ちょっとだけ裏道に入る。
 目指すは今はなき某店。移転して店名が変わっただけなんだと思いたい。ここは「本物」だった。

 今までのデパートや一般客むけでございという店構えとは根本的に違う。狭くて薄暗い貸し店舗の中に所狭しと並んだパソコン。それもハンパじゃない品揃えだ。FM-11、VIC-1001、シンクレアZX……、「なんで!?」と言わざるを得ないブツが平気で置いてある。いやさすがにこの辺になると狭い店内のさらに隅っこに追いやられるわけだけど、あるんだよこの店には。あのApple II様が。
 Apple IIはあのアップル・コンピュータ(現アップル)社が生んだ史上最初のバカ売れパソコンであり、1977年に発売されて以来まだ史上最高のゲームをばんばん生み出し続けている怪物だった。日本法人とかそういう発想じたいが無い時代、Apple IIは憧れのマシンであり、同時になんやようわからない海の向こうのマシンでもあったのだ。それが平気で置いてあるのよこの店。たぶん個人輸入レベルで仕入れていたんだと思うんだけど、そんなわけでソフト棚に並んでいるのも大半はApple II専用のアメリカ産英語ソフトだ。たまに国産マシン向けのソフトがあると思えば、それは当時まだ珍しかったフロッピーディスクベースというこれまた誰が買うんだそんなのっていう超本格派ゲーム。
 こんな店が商売として成立していたのだからニッチ層というかマニア向けというのは今も昔も恐ろしい。店には常連さんがたいてい2、3人でローテーションでも組んでるかのようにApple IIの前に座って……何をしていたかといえば、ゲームをしていたのだった。
 『Wizardry #1』のレベル上げをしていた。『Ultima III』のフィールドマップを方眼紙に書いていた。『Lode Runner』をひたすらクリアしていた。決して彼らはいまで言う廃人プレーをしていたわけではないと思うんだけど(その証拠にちょっとApple IIを触らせてほしそうな顔をしているだけですぐ席を譲ってくれた)、平日の学校帰りだろうと日曜の朝だろうといつでも同じメンツがたむろしていた理由だけはよくわからない。そうだ、この店にいた彼らの表現としては「たむろっていた」というのが一番しっくりくる。
 店長も一緒になって遊んでいたし、かと思えば一緒になってプログラムを組んで、あまつさえ店に来た客にものすごくナチュラルにテストプレーさせたりもしていた。この店で売ってるソフトの大半はApple II用のソフトだったから、ほかの店で買ったソフトをこの店に持ってくる客もいた。もちろん箱を開けて、ディスクドライブに入れて、この店でみんなで遊ぶのだ。くそ、この魔窟がいったいどういう構造になっていたのかいまだにわからないぞ。

 こういう魔窟は全国レベルで決して珍しいものではなかった(たいてい店が裏通りにあったからあまり有名じゃないだけで)ことを後に僕は知るのだけど、1980年代のパソコン少年はとりあえずローカル誌『マイコン北海道』だけ買って、次の店に向かうのだ。
 と言っても、そろそろ夕方も近い。パソコン少年は文字通り少年なので、あまり夜遊びはできないのだった。パソコンだって貯金では足りずに親に泣きついて大半捻出してもらったくらいなんだし。お父様お母様お祖父さまお祖母さまその節は本当にありがとうございました。


■ 地下街ショッピングモールとパソコンの関係

 札幌駅地下街ポールタウンは一見パソコンと無縁に見えて、ちょっとしたおもちゃ屋がある。おもちゃとパソコン? 一見関係ないような組み合わせと見せかけて、ここには『ぴゅう太』の試遊機があるのだ。おお! コナミの『スクランブル』がタダで遊べる唯一の場所! もとい、ぴゅう太といえばおもちゃ販路で売られていた日本語BASICが特徴的な低価格16ビットマシンで……ええ、スクランブルが遊べました。
 通りかかるたびに遊んでいるうちに、とうとう1周できるくらいには熟練してしまったパソコン少年。いいのか、もうパソコンとほとんど関係ないぞそれ。

 軌道修正として、足をもう少し先に伸ばそう。電器店の店頭にソードのM5が置いてあるのだ。M5というやつは色々と面白いマシンなんだけど、これまた販路が玩具ルートだったり家電ルートだったりで、こういう場所でもないと触れなかったりする。
 もうちょっと時代が進めば一風変わったプチマニア向け製品としてパソコンショップでも普通に見られるようになるんだけど、今は電器店の前で何のソフトも走らずただ置いてある。せめてゲームでも走らせておけばいいものを、たぶん店主に知識がなくてどうディスプレイしたものかわからなかったのに違いない。
 僕はBASICで「数当てゲーム」を打ちこんで走らせておく。プログラムの初歩中の初歩、最もシンプルなゲームのひとつで、だいたい数行程度のプログラムで動作するからあっと言う間だ。これを打ち込んでおくことに何の意味があるのかとか聞かないでほしい。とりあえず何かソフトが走っているならそれに越したことはないじゃないか。そうでもないか? そうでもないかな。
 とにかくやってしまった事はしかたない。誰かがBreakしてNEWコマンドを打つまで1日中「数当てゲーム」は動き続ける。よく似たパターンで、同じメッセージをPRINTし続ける無限ループというのもあったね。まったくもって不毛な気がするけど、いいじゃない本人がそれで幸せなら。

■ 狸小路はぽんぽこシャンゼリゼだそうですよ

 ポールタウンは札幌名物、狸小路商店街に続いている。狸小路三丁目には知る人ぞ知る「茶谷碁盤店」があって、ここが名前と裏腹にファミコンソフトのホットなスポットなのだ(※くり返しますが、このタイムトリップでは時間軸がしばしば前後しています)。ファミコンの試遊機なら他にも置いてあるが、この店は手書きの発売予定表が常に最新にアップデートしてあるから見逃せない。ああファミコン版『ドラゴンバスター』はやっぱり発売延期していた。
 狸小路に来た以上、四丁目にある伝説のショップ「中川ライター店」に寄るのは絶対外せないところだが、ここもパソコンとは何の関係もないから今回は涙をのんで素通りだ。

 狸小路商店街には伝説の電器部品ショップ梅沢無線(狸小路は伝説のお店が多いなあ)をはじめ、あやしげな店からまっとうすぎて特徴のないお店まで色々あるのだが、中でも危険なのはとある目立たない場所の2階、やはり今はなき某店。
 一見こぎれいな店内とうらはらにイリーガル臭ぷんぷんで、平気でソフトの違法コピーが行なわれていた違う意味での魔窟であった。おいおい。
 ショップの売り物であるソフトのコピーをショップが黙認しているのは変だって? そこはそれ、この店ではコピーツール(!)も販売しているのだ。うーむ、マスター(原版)を売る一方の手ではコピーツールも売りつける、なんだか死の商人のようなやりくちである。この商売はさらに後にはレンタル商法に昇華されるのだけど、さすがにというかやっぱりというかこの手のビジネスは法整備のすえに淘汰されていくのであった。
 当時の僕といえば、さすがにヤバいものを感じてやくざな道は踏まずにすんだ。当時の僕をほめてあげたい。じゃあなんでこの店に来たのかといえば、やっぱりマニア向けに充実してるんだよねえここ。FM系のディスク版ソフトを取り扱ってる店となるとまだ当時はほとんどない。ああハミングバードソフト。ああスタークラフト。
 とか言う僕もディスクドライブなんてバカ高いもの持っているはずもなく、この店でデモで走っているソフトを触ったりが精一杯。英単語の組み合わせでコマンドを入力していく。僕らはアドベンチャーゲームに「取る」が英語で「GET」だと教わったのだ。

■ 「すすきの」は「すすき野」にあらず

 試遊といえば(厳密には違う?)さらに南に足を伸ばして、すすきの駅前のヨークマツザカヤ(現ロビンソン百貨店)も忘れちゃいけない。ここのおもちゃ屋は札幌最大級のファミコン試遊スペースがあって、ディスクもカートリッジも最新のソフトが遊べるのだ。
 10台近くのモニタが頭上高く設置され、見上げる首を痛くしながら遊ぶ少年達。これまたパソコンとは関係ないぞ。どうしたパソコン少年。いや事実あの頃ファミコンとパソコンは光と影のようにつかず離れずの微妙な関係ではあったのだが、この奇妙な関係についてはまた別の機会に譲る。
 などと急に司馬遼太郎っぽくまとめたのは、そろそろパソコン少年にとって時間がなくなってきたからである。ジョン少年がマツザカヤを出るころにはもう時刻は夜だろう。
 あ、いま気がついたけどそういえばこの話、昼食をとってないな。当時のジョン少年なら、朝パン屋で買っておいたパンを例の魔窟なショップで常連さんと一緒に食べてましたよ。
 あいかわらずあのショップだけは謎だ。

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