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ブリスター・ジョンの『あの頃8ビット・マシンと』

8ビット・マシンが世界のすべてだったあの時代。若者驚愕、中年感涙! 天下御免のオールドゲーマー、ブリスター・ジョン(日本人)による回想録。

あの頃8ビット・マシンと

 スマイルブーム.com担当の某Uさんから「何かコラム書いてください」という趣旨のことを言われたのはそもそもスマイルブーム創業前のことだから、もう3ヶ月近く前のことになる。
 その後ちょっとばかり業を煮やしたUさんに「じゃあ昔のパソコン事情の軽いエッセイなんてどうですか。ジョンさんももういいかげんオッサンですしネタには事欠かないと思うんですよ」とテーマも決めてもらったのは2ヶ月くらい前。Uさんの言葉は後半いらないような気がするけれど、それは僕が何も決めないでダラダラしていたからであって自業自得である。
 先日、Uさんが大人の笑顔で「例のコラムのサンプル原稿だけでも上げないとコ・ロ・ス」という趣旨のことをおっしゃられた。例によって自業自得だけどさすがにコ・ロ・されては僕も困るので慌てて書き始めたのが今日である。あれ以来まだUさんとは連絡をとっていない。

 ここまで長い前置きをお読みいただきありがとうございます。みなさんはじめまして。商業デザインをお仕事にしているブリスター・ジョンと申します。
 そんな訳で(どんな訳だ)このコラムでは8ビットマシン全盛期、パソコンが新しい時代の新しいオモチャだった頃の話を書いていくわけなんだけど、さて第1回を書くにあたって適切なテーマって何だろう。
 読者の中には当時をまったく知らない人もおおぜいいるだろう。だいたい8ビット全盛期と言ったって広いぞ。最低でも1980年代後半から10年間はまるまるカバーする計算だ。連載を始めるにあたって、この時代背景を説明するのがスジなんだけど、いちいち「ことのおこりは海の向こうのアメリカで、ザイログのZ-80てえCPUが……」と説明しだしたらいくら字数があっても足りるはずがない。字数はともかく時間が足りない。このままではUさんにコ・ロ・されてしまう。
 当時を簡単に説明ねえ、ううむタイムマシンのひとつもあって直接見てもらえれば早いんだが、現実のドクはいっこうにデロリアンを改造してくれる気配がない。いや待てよ、タイムマシン? そうか、それだ!
 ひとつタイムマシンに乗った気になってみよう。8ビットマシン全盛期、当時の「パソコン少年」の足どりを直接書いてみよう。あれは1980年代中盤をすぎた頃、その頃から僕は札幌に住んでいた。まだサッポロバレーなんて言葉もなかった頃、若きジョン少年は地下鉄の大通駅で降りると……


 前回のあらすじ。
 「当時」を知るには当時のそのままをドキュメントで書くのがいちばん手っ取り早い。
 1980年後半のサッポロバレー(当時そんな言葉もないし、実を言えば誤用でもある。いいんだ僕はジュンスカの『Let's Go ヒバリーヒルズ』っぽく書きたかったんだもんね)を駆ける著者ことジョン少年。丸井今井のパソコンショップ、九十九電機を後にして向かうのは、はたして……?


 「アドベンチャーゲーム」といって、最近では何が有名だろう。いわゆるノベル系ゲームも数に入れればそれはもうたくさんあるが、僕あたりのちょっとひねた昔かたぎとしてはむしろ『逆転裁判』シリーズの探偵パートとか、『アナザーコード』とか『タイムホロウ』とかあの系統が「アドベンチャーゲーム」という言葉としてはしっくりくる。
 どのゲームもそれぞれのベクトルを持ってるから、本当はこんなジャンル分けなんて不毛なんだけどね。それを言っちゃうと今回の話が始まらないのでちょっと脇によけておく。

 アドベンチャーゲームが今の形におさまるまで紆余曲折あった。それはパソコン版『オホーツクに消ゆ』、ファミコン版『ポートピア連続殺人事件』、とどめのファミコン版『オホーツクに消ゆ』という連続ブレイクスルーで完璧なまでに整備されたんだけど、今回はそれよりまだ前の話。
 ずっと昔のアドベンチャーゲームに「言葉探し」というものがあったことを覚えている人はもう少数派になってしまった。


(はじめに)
 ご存知の方も多いと思いますが、パソコン雑誌『ログイン』が今月24日発売号を最後に休刊することが決定しています。
 え!? ウソ! ログインに限ってそれはないでしょ、そんなログインが雑誌媒体じゃなくなる日がまさかくるなんて、と2段落目にして取り乱してしまうのも黄金期のログインに夢中だった者のサガ。
 思えばログインの創刊は1982年。多くの人に「黄金時代」として認識されている月刊時代〜月2回刊時代中期は、8ビット・マシンから16ビット・マシンへと移り変わっていく激動の時代でもありました。
 まあそんな分析は他のきちんとしたサイトにまかせておくとして、このコラムではこのコラムらしく『ログイン』の毎号の特集記事を追いながら当時をただひたすらに懐かしんでみようと思います。
 また規定の文字数をオーバーしそうな気もしますが、なあにその時はまた2回に分けさせてもらおう。結果的に掲載がログイン休刊を過ぎちゃったら面白いですよね(ああ、また担当のUさんに怒られる)。


 パソコン雑誌『ログイン』休刊の日、5月24日まであと数日。
 このコーナーでは追悼特集としてログインの特集記事を追ってみようとしたらこれが思っていた以上に濃密で、どうやらとても1回の記事におさまらないどころか3回になりそうな気配なんですが、という話を僕はWeb担当のUさんに切り出したのだった。
「うーん……本編をまだ3回しかやってないのに、番外編が3回続くっていうのもどうかと思うんですけど」
 なんだか『未来放浪ガルディーン』みたいだよね。と、言っても年代的にUさんに通じない。いや聞いてよ、これでも月刊時代にしぼったんだよ。本当なら月刊から月2回刊に移行してしばらくは追いたいぐらいだったのに。
「まあ実際1冊1冊が面白いんですよねえ。長くなるのも分からないではないですけど」
 Uさんは僕が持参した数冊の当時のログインを読みふけっているのだった。僕の作戦が図に当たったようだ。くくくどうだ面白いだろう。どうかね、この特集を2回で終わらせるなど国家的損失というものじゃないかUさん。国家はともかくとしてUさんも首を縦にふり、このログイン特集特集は前・中・後編の3回に分けてお送りすることになったのだった。


 前回から引き続き、Web担当Uさんと懐かしのログインをパラパラめくりながらの打ち合わせ。
「それにしてもこの時期(1988年前後)のログインは内容濃いですねえ」
 うん、特集記事以外がやたら充実してるんだよね。
「しかもスクープ記事ですらないっていう」
 ログインでは一般記事って言ってたかな? 単発の企画が凄く力入ってるね。現役の探偵さんに推理ゲームを遊んでもらったり、あと「温泉で音声入力」とか。
「今回は今回として、また別の機会に扱ってみたいですね」
 こんな面白い雑誌はほかに宮武外骨の『スコブル』ぐらいしか僕は知らないよ。
「ジョンさんこの間は『ビックリハウス』が最高に面白かったって話してたじゃないですか」
 そ、そうだっけ!? えーと、真面目な話をするとこの時期のログインといえばお笑い記事っていう印象が強いけど、こうして特集の流れを追ってみると実はすごく真剣なんだよね。人気ゲームや続編の後追いじゃなく、まだ誰も注目してない新しい潮流を模索し続けていたっていうのかな。
「新作にフォーカスしてない分、メーカーとしがらみも少なかったのかもしれませんね。あ、このソフトうちの社長が作ったやつだ」
 あははは本当だ。齢がバレるね。これ、今度「あの頃〜」のネタに使えないかなあ。
「権利関係が複雑そうですよね……あとで調べてみます。へえ、この頃に堀井雄二さんもコラム書いてるんですね」
 『虹色ディップスイッチ』ね。あのドラクエの堀井さんがエロゲーとかネットRPGにここまで深く言及してるソースって多分これぐらいしかないよなあ……。
 
 と、いつまでも話は終わらないのですがそんな打ち合わせの席をよそにログインの特集記事特集、1987年の後半からどうぞ。


 この間の初期「ログイン」誌特集を書いていてふと思ったのは、
ああ、今の子は生まれた時からドラクエがあっていいなあ
 という事だ。
 僕がゲームにさわり始めたころには初代『ドラゴンクエスト』も『ファイナルファンタジー』もなかったし、それを言えばRPGというジャンル自体だってあるような無いような変な状況だったのだ。


 はじめて遊んだファミコンゲームはいとこの家で遊んだ『マリオブラザーズ』。
 はじめて自分の手にしたファミコンゲームはといえば、けっこう遅れて『ドルアーガの塔』。
 はじめて遊んだアーケードゲームは、なにしろあの時代なんでメーカー純正かどうか今となってはわからないが、とにかく「インベーダーゲーム」系のなにか。
 はじめて遊んだパソコンゲームなら、たぶんデモ機で走っていた『ロードランナー』。なにしろ昔のことでひどく記憶があいまいだけど、触る機会があの時あの場所にしかなかったと考えればこの結論に落ち着く。
 はじめて自分のこづかいで買ったパソコンゲームは、いよいよ記憶がはっきりしないがエニックスの『不思議な旅』だったはずだ。
 じゃあはじめて手にしたパソコンゲームは?
 親に買ってもらったとはいえ、自宅ではじめて遊んだゲームソフト。さすがに忘れているはずもないが、困ったことにそのタイトルがわからない。


 ぼうっとしている間に前回の記事から間があいてしまったけど、別にこれは「毎×曜日更新!」とかそういうたぐいの記事ではないからいいのだ。他の記事がどうなのかは知らない。
 ふう、有利な契約条件でよかったぜ。

 それにしても、今こうして僕はややかけあしぎみにパソコンで文章を打っているわけだけど、パソコンで文字を打つという行為もいまではずいぶん普通なことになってしまった。
 こうしてブログツールにアクセスして直接文章を打てば自動的に整形されて、担当のU氏の校正が入った後やっぱり自動的にWebの形で出力される。仕事そのものじゃないか。
 そうとも、パソコンで文字を打つということはこんな仕事に使えるようなものじゃなかったはずだ。我々は搾取されている!(なんの話だっけ?)
 温故知新。時代をさかのぼって見直してみよう。


 あの頃パソコンがデフォルトで備えていたフォントは英字・数字・カタカナと、各機種間でまったく統一のとれていない記号だけで、ひらがなはごく一部の限られた機種にしか表示できなかった。
 ゲームの進化につれてひらがなフォントをプログラム側で用意して表示するようになるのだけど、このフォントについて昔から心にひっかかっていた疑問がある。ひっかかってはいたものの検証するための資料が見つからずにどうにもならなくなっていた疑問だ。
 ところがこの間の『ログイン』休刊記念特集で偶然にもその資料が見つかったので、この機会に長年の疑問にかたをつけようっていうわけ。話はパソコンからファミコンにつながり、ちょっとした意外な発見まで至る予定だが、このコラムのことだから真面目な研究にはなりません(そういうのを期待して検索してきた人はごめんね)。

 とにかく話は大半のパソコンにひらがなフォントが無かった時代、1986年春ごろ。やけに年代が具体的なのは後々の伏線だから憶えておくように。


あの頃8ビット・マシンと

交信なう