ブログマガジン社長の書類ツクール情報 (SPECIAL!)ツクール情報 (SPECIAL!)

8ビット・マシンが世界のすべてだったあの時代。若者驚愕、中年感涙! 天下御免のオールドゲーマー、ブリスター・ジョン(日本人)による回想録。

あの頃8ビット・マシンと: 2008年4月

[1]

 スマイルブーム.com担当の某Uさんから「何かコラム書いてください」という趣旨のことを言われたのはそもそもスマイルブーム創業前のことだから、もう3ヶ月近く前のことになる。
 その後ちょっとばかり業を煮やしたUさんに「じゃあ昔のパソコン事情の軽いエッセイなんてどうですか。ジョンさんももういいかげんオッサンですしネタには事欠かないと思うんですよ」とテーマも決めてもらったのは2ヶ月くらい前。Uさんの言葉は後半いらないような気がするけれど、それは僕が何も決めないでダラダラしていたからであって自業自得である。
 先日、Uさんが大人の笑顔で「例のコラムのサンプル原稿だけでも上げないとコ・ロ・ス」という趣旨のことをおっしゃられた。例によって自業自得だけどさすがにコ・ロ・されては僕も困るので慌てて書き始めたのが今日である。あれ以来まだUさんとは連絡をとっていない。

 ここまで長い前置きをお読みいただきありがとうございます。みなさんはじめまして。商業デザインをお仕事にしているブリスター・ジョンと申します。
 そんな訳で(どんな訳だ)このコラムでは8ビットマシン全盛期、パソコンが新しい時代の新しいオモチャだった頃の話を書いていくわけなんだけど、さて第1回を書くにあたって適切なテーマって何だろう。
 読者の中には当時をまったく知らない人もおおぜいいるだろう。だいたい8ビット全盛期と言ったって広いぞ。最低でも1980年代後半から10年間はまるまるカバーする計算だ。連載を始めるにあたって、この時代背景を説明するのがスジなんだけど、いちいち「ことのおこりは海の向こうのアメリカで、ザイログのZ-80てえCPUが……」と説明しだしたらいくら字数があっても足りるはずがない。字数はともかく時間が足りない。このままではUさんにコ・ロ・されてしまう。
 当時を簡単に説明ねえ、ううむタイムマシンのひとつもあって直接見てもらえれば早いんだが、現実のドクはいっこうにデロリアンを改造してくれる気配がない。いや待てよ、タイムマシン? そうか、それだ!
 ひとつタイムマシンに乗った気になってみよう。8ビットマシン全盛期、当時の「パソコン少年」の足どりを直接書いてみよう。あれは1980年代中盤をすぎた頃、その頃から僕は札幌に住んでいた。まだサッポロバレーなんて言葉もなかった頃、若きジョン少年は地下鉄の大通駅で降りると……


 前回のあらすじ。
 「当時」を知るには当時のそのままをドキュメントで書くのがいちばん手っ取り早い。
 1980年後半のサッポロバレー(当時そんな言葉もないし、実を言えば誤用でもある。いいんだ僕はジュンスカの『Let's Go ヒバリーヒルズ』っぽく書きたかったんだもんね)を駆ける著者ことジョン少年。丸井今井のパソコンショップ、九十九電機を後にして向かうのは、はたして……?


 「アドベンチャーゲーム」といって、最近では何が有名だろう。いわゆるノベル系ゲームも数に入れればそれはもうたくさんあるが、僕あたりのちょっとひねた昔かたぎとしてはむしろ『逆転裁判』シリーズの探偵パートとか、『アナザーコード』とか『タイムホロウ』とかあの系統が「アドベンチャーゲーム」という言葉としてはしっくりくる。
 どのゲームもそれぞれのベクトルを持ってるから、本当はこんなジャンル分けなんて不毛なんだけどね。それを言っちゃうと今回の話が始まらないのでちょっと脇によけておく。

 アドベンチャーゲームが今の形におさまるまで紆余曲折あった。それはパソコン版『オホーツクに消ゆ』、ファミコン版『ポートピア連続殺人事件』、とどめのファミコン版『オホーツクに消ゆ』という連続ブレイクスルーで完璧なまでに整備されたんだけど、今回はそれよりまだ前の話。
 ずっと昔のアドベンチャーゲームに「言葉探し」というものがあったことを覚えている人はもう少数派になってしまった。


あの頃8ビット・マシンと: 2008年4月

[1]

交信なう