よく言われるのはかつて'60~70年代、子供誌や漫画誌、はては新聞各紙のお正月版でさんざん語られた「未来」はとうとう来なかった、そんな話だ。
21世紀の未来では自家用エアカーが空をとびかい、都市中に張りめぐらされた透明なチューブが高速ベルトコンベアーで整備され、テレビ番組は立体映像におきかわり、みんな機能的な銀色のピッチリボディスーツを着ているはずだったのだ。
などと書いている僕はこの「夢の21世紀幻想」世代よりちょっと後の生まれなんだけど、それでもこうスラスラと書いちゃえるあたり、この幻想はなかなか根深い。
ところで、そんな8bit世代の僕にも未来の世界の夢はやっぱりあった。ちょうど'80年代の「パソコン少年」はPCの劇的進化をリアルタイムで目の当たりにした世代。パソコン雑誌の新技術ニュースを読んでは、いつかやってくるであろう未来に心おどらせたものだ、が……あれ、いま思うとどんな未来像だったっけ?
いま僕が手にしているのはパソコン雑誌『ログイン』1988年1月号、同4月号、1989年1・2合併号。かれこれ20年前の本だ。いやあ僕もすっかりオジサンになったもんだねなんて言ってる場合ではない。ここでは「国際科学技術娯楽年間 (WASTED)」特集が組まれているのだ。
WASTEDとは、最先端技術を使ってどんなゲームやPC体験ができるのか? をまじめに追求した記事シリーズ。20年前当時の「最先端」、当時パソコン少年が夢見た未来は本当にやってきたのかどうか、2009年年頭企画としていま一度思い出してみようじゃないの。
(編注:この原稿は本当は1月掲載予定でしたが、主に担当者のサボリなど諸般の事情によって掲載がものすごく遅れてしまいました。読者の皆様ならびにブリスター・ジョン氏にこの場を借りて陳謝いたします)
■ マシンパワーは上がるよどこまでも
いまから20年前、最強クラスのパソコンと言えば、シャープの名機X68000をおいて他にない(いや本当はそのライバル機のPC-88VAやFM TOWNSもあったんだけど、個人的思い入れがちょっとほとばしったようだ)。
そのX68000の主なカタログスペックを今風に書き出してみると、
- CPU動作周波数:10MHz
- メインメモリ:16MB
- 最大解像度:768×512(16色)、512×512(65536色)
- グラフィックスメモリ:2MB
- ハードディスク容量:なし
- サウンド音源:FM音源8音+ADPCM1音
- ネットワーク機能:なし
……あらためて書き出すと、けっこうショックだ。
いやだって当時ね、本当に言いすぎじゃなく個人ユースでは究極の性能のマシンだったんだよ。X68000さえあれば他のマシンじゃできないあれもこれもできる、カタログスペックもすごいがハードそのものが憧れになる、そんなマシンだったんだよ。それがなんだよCPUの10MHzって。今や2GHz(2000MHz)越えしてなお普通の時代ですよあなた。
ううむカタログスペックが性能のすべてではないとはいえ、しかしこれが初期状態のX68000のスペック。これが最高級の存在だった当時、じゃあ「未来」のマシンはどういうモノになると想像されていたのか? 『ログイン』1988年1月号にはこうある。
「現在はビジネス機の主力機種は16ビットで、32ビットのものもボチボチ出始めているし、ゲームマシンでさえ、16ビットに移り変わりつつあるご時勢だ。(−中略−)
10年後のビジネス主力機は、32ビット機から、64ビット機になっているかもしれない。
それも、今ある32ビット機っていうのは、10年後には北京原人クラスにすぎないだろう。32ビット機は、本当の実力を発揮すれば、VAXとかメインフレームに負けない性能が出せるようになるはずだ。(−中略−)
ゲームマシンだって、X68000よりも高度なものが、ファミコンなみの値段で手にはいるようになる。つまり、少なくとも今のゲーセン程度のゲームは、ご家庭で楽しめるってわけだ。」
アスキー『ログイン』1988年1月号 P.380~381より
おお、冷静かつ的確な指摘。
そうそう当時はマシン性能を「×ビット」で表すのが主流だったけど、同じ32ビットCPUでも性能が違えばぜんぜん別物だってことが分かってきて、もうそんな表現はすたれちゃったね。現在を的確に予想したみごとな予測はさすがサイエンスライター・鹿野司先生の文章だ。
この文章は10年後の予測という形をとっているんだけど、その予測先「'98年」といったらゲームマシンではプレステ、セガサターン、ニンテンドー64が熾烈なあらそいをしていたころ。まさしく文中にある通り、X68000以上のゲームがご家庭で気軽に楽しめる時代になっている。僕らのミライは意外と夢見た通りになってたってこと?
■ あの日夢見た大容量
「LSIの集積度の進みぐあいというのは、なかなかコレだ! というような予測がつかないところがある。(−中略−)昨年('87年)になっていきなりビックリという事件があったんだよね。
それは、NTTと松下電器が、いきなり16メガビットのDRAMの試作品をつくってしまったので、なんと3年で16倍になってしまったのだ。
3年で16倍のペースが続いたら、10年後には10ギガくらいまで軽くいってしまう。まあ、そこまでは無理としても、10年後なら1ギガくらいまではいけるだろう。」アスキー『ログイン』1988年1月号 P.384より
いま僕がこの文章を打っているマシンが搭載してるのは3GB DDR2 SDRAM。ビットになおせばええと約24ギガビットか。いやはや、時代はすごい勢いで進んでいる。
今にして思うとおどろきなのは、当時この大容量の使い道があまりよくわかってなかった点で、いやまあ今だって具体的にあんたはその3GBをどう使ってんのさと聞かれれば答えに窮する僕だけど、なにしろ20年前は20MB(20GBの書き間違いじゃないよ)ハードディスクすら満足に普及してない時代。ギガビット単位のメモリなんて当時は圧倒的に「過剰」だったわけ。
そこで思考停止せずに使い道を探るのがWASTEDという企画の面白いところで、こんな分析がある。
「たとえば、録音。
音声のデータってのは、わりと情報量が多いものだ。(−中略−)
だけど、ここで1ギガビットのメモリを考えてみると、この中にはCDなみのデータが25分以上入ってしまうんだよね。」
「ギガビットメモリには、画像にだって、けっこう使い道がある。画像の情報量っていうのは、音声よりもはるかにたくさんあるから、ビデオをカード化するのはちょっと無理だけど、静止画ならわりと使えるはずだ。
たとえば、ハイビジョンクラスの画像を記憶することを考えてみよう。
(−中略−)1ギガメモリを2つ使えば、カードサイズで32枚撮りのLSIカメラができる。ま、カメラというのはレンズ系を小型化するのが大変だから、完全なキャッシュカードサイズにはならないだろうけど、それにしてもこれはフィルムカメラを駆逐するだけのポテンシャルはあると思うな。」アスキー『ログイン』1988年1月号 P.385より
音楽と映像! そのまま現代に通じる発想だね。
言われてみればたしかに思い当たるのは、CDレベルの楽曲をフル再生するなんて当時としてはかなり「未来」な発想だったということだ。ほらADPCM1音なんて時代ですから。
ここではアイデアとして、音楽をCDプレイヤー+CDではなく小型の再生機+ROMメディアで売るっていうビジネスモデルが考えられているんだけど、これiPodとかMP3プレイヤーの発想に非常に近いよね。惜しむらくは、当時まだ音声圧縮技術(MP3とかだ)と記憶媒体の小型化(HDDやフラッシュメモリね)、高速ネット通信がここまでくると思われていなかったというところか。初代iPodが2001年発売だから、時代が予測に追いつき追い越したってことになる。
画像だってそうだ。PCに写真を取り込むだけでも、解像度と色数があまりにも足りなくて劣化はなはだしいのでめったにやらないニッチだった時代。それが今やメガピクセルデジカメが当然になって、PCでHD画質の動画を再生できる。おいおい、1988年に夢見たミライはもう通り越してるじゃん!
■ 未来の不確かな顔
じゃあちょっと意地悪な方向から探ってみよう。当たらなかった予言はあるか? これがけっこうあるのだ。
たとえば、手袋の形をしたコントローラー、データグローブ。複雑な操作を感覚的にできるデバイスとして、高度化していくゲームやUIの操作にばつぐんの威力を発揮するだろう……と思われていたけど、いまのところ普及の様子はない。どっちかというと、複雑な操作を徹底的にデジタル化したゲーミングキーボードの方に軍配が上がっているのが現状だ。
それから、ヘッドマウントディスプレイ。いくつか製品化もされたけど、ちょっとこれは未来とは違う……という感じはぬぐえなかった(いや、僕は定価で買ったからもっと強く言う資格があるはずだ。あんなのは未来じゃなかった!)。網膜に直接投射するディスプレイも、とりあえず装着している人と街中ですれちがったりした記憶は僕にはない。
このへんを組み合わせた、360度視界で体にフィードバックもする体感ゲーム空間(当時バーチャルリアリティという言葉が普及してたかは、ちょっと微妙)で遊ぶネットワークゲームも、まだ完成していない。その間にオンラインゲームが普及してしまったので、もし実現してもあんがい思ったよりは面白くないんじゃないの、とすら言われている。
そうそう、脳波のコントロールもまだまだ小説に現実が追いついていない分野だ。そろそろ電脳空間にジャックインできていい頃じゃなかったっけ?
室温超伝導の夢も、思ったようには実現しなかったね。
当時と言えばちょうど極低温でしか起きないとされていた超伝導現象が続々と高温の限界を突破していた時期。などと書いても今の読者にはいったいなんのことか分からないかもしれないが、当時テレビのワイドショーまでもをそういうよく分からないものがにぎわしていたのだ。この調子なら10年後には本気で真夏の室内でも超伝導が使えるんじゃないのってムードで、モーターは超小型化するわ電池はスーパー化するわコンピュータの性能は爆発的に向上するわでもう大変。
まったく理系に縁のなかった僕でさえ「どうやら革命的なことがおきているようだ」と思ったものだけど、思ったよりも室温の壁は厚かったようで、あんまり革命的なことにはならなかったようだ。しょせん理系に縁がないとはこういうものだ。少なくとも超伝導を利用した電気自動車がガソリンエンジンを駆逐しているはずだったんだけどなあ、21世紀。
■ 理想の翼のはばたくままに
ここまでのところ、ハードパワーの進化にともなうミライは無事にやってきたけど、新技術の到来はあんまり夢の通りにはいかないという感じだ。ハードパワーが日進月歩で上がるのは、まあ当たり前と言ってしまえば当たり前の話。じゃあ結局あの日のミライはやって来なかったのか? いやいやまだ手を付けてない分野はあるぞ。というわけで次回に続くのだ。
ひさびさの更新おおいに楽しみました。続きを期待して待ってます。