「こんなクソゲー初めて見ましたよ!」
すべてが明らかになった後、彼は吐き捨てるようにそう言ったのだった。
さかのぼること20分前。
退社時刻を前に、彼はひとりオフィスにいた。ほかの社員が社外で打ち合わせだったり直帰だったりで、いまオフィスには彼ひとりきりなのだ。
今夜は繁盛している歯医者の予約がある。遅れるわけにはいかない。退社時刻ぴったりに帰り支度をととのえ、オフィスの鍵を手に部屋を出た。
思えばオフィスが整って合鍵を手に入れてから間もない。鍵を閉めて部屋を出て行くのは初めてのことだった。
鍵を回す。
「フニャ」
手ごたえがまったくない。
あれ、こういう鍵なのか。そんなはずはない。けさ鍵を開けたときはカチャッと音がしたじゃないか。ためしにドアを開けてみると、あんのじょう鍵はかかっていなかった。
回す方向を間違えたかな。いやまさか。ドアノブが「押し回し」式の構造ってことはないか。それもちがう。もっと思いっきり回すのか。いやいや鍵曲がっちゃうよこれ。
ははあ閉めるときは合鍵を使わないのか。室内側で鍵閉めボタンを押しておいてからドアを閉めるのだな。全然ちがった。廊下側からノブを回してみると、かるがる開いてしまう。
もしかしてこの合鍵おかしいんじゃないか。いや「お客様入り口」の方はこの鍵で開けたり閉めたり平気でできる。同じ鍵穴のはずの従業員入口がなぜ閉まらないのだ。
バタンガチャンバタンガチャンと、いいかげん隣の会社の人に不審がられそうな感じですでに10分。彼は焦りはじめていた。このままでは歯医者に遅れてしまう。
いや待て、こんな時こそ機転を利かせるのだ。
どんな理由かわからないが、とにかくこの鍵でこのドアは閉まらない。しかしドアの鍵を閉める方法はまだ残っているはずだ。
彼は電灯の消えた暗いオフィスに戻り、室内側からドアノブのボタンを押した。「カチリ」よし、これで鍵はかかったと見てよかろう。もちろんオフィスを出ようとこのドアを開ければだいなしであり、今やこの部屋は密室である。しかし彼には勝算があった。
このオフィスにはもう1つ、「お客様入り口」があるのだ。暗いオフィスの中を壁ぞいに歩いて、お客様入り口にたどり着く。ちょっと楽しくなってきた。時間制限のある中、暗がりを記憶を頼りに歩いてあっちのカギを閉じこっちの扉を使いって、これはもうちょっとしたゼルダである。彼は『ゼルダの伝説』が好きだったのだ。
お客様入り口から出た彼は無事に鍵を閉めた。完璧だ。「キラリラキラリラーン」という例の効果音さえ聞こえた気がした。
念のため、もとのドアが外から開かないか確認してみる。
「フニャ」
簡単に開いちゃった。
だめだ、もうこの謎は解けない。ゆるゲーに慣れた自分にはこのゲームバランスは難度が高すぎる。打つ手なしとなった彼は、あきらめて外の社員にメールした。「オフィスの扉の攻略法を教えてください」
それから5分後、「このドアは少したてつけが悪いので、力をこめてドアを閉めてからじゃないと鍵がうまく回らない」ということを彼は知るのだった。
「こんなクソゲー初めて見ましたよ!」そう彼は吐き捨てた。歯医者の予約に遅刻して、さんざん待たされるはめになったのは言うまでもない。