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ブリスター・ジョンの『あの頃8ビット・マシンと』

8ビット・マシンが世界のすべてだったあの時代。若者驚愕、中年感涙! 天下御免のオールドゲーマー、ブリスター・ジョン(日本人)による回想録。

タイピング・オン・ザ・ブック

 ぼうっとしている間に前回の記事から間があいてしまったけど、別にこれは「毎×曜日更新!」とかそういうたぐいの記事ではないからいいのだ。他の記事がどうなのかは知らない。
 ふう、有利な契約条件でよかったぜ。

 それにしても、今こうして僕はややかけあしぎみにパソコンで文章を打っているわけだけど、パソコンで文字を打つという行為もいまではずいぶん普通なことになってしまった。
 こうしてブログツールにアクセスして直接文章を打てば自動的に整形されて、担当のU氏の校正が入った後やっぱり自動的にWebの形で出力される。仕事そのものじゃないか。
 そうとも、パソコンで文字を打つということはこんな仕事に使えるようなものじゃなかったはずだ。我々は搾取されている!(なんの話だっけ?)
 温故知新。時代をさかのぼって見直してみよう。

■ DTPちょっと前

 実はまださかのぼりたりないけど、ひとまずざっと15年前。
 MacintoshがPostscriptでDeskTopPublishingのころ。わざとなんだかわからないように書いているので大丈夫、安心してほしい。
 本の文章からデザインまで、1から10までMacでできる!はずだ、と思われていたのがこの頃だった。
 たしかにごく一部の先進的な専門誌とかは本当に1から10までMacで作っていた、らしい。今じゃどこでも当たり前のことだけど、この頃は本当にめずらしいことだった。この話をすれば『QuarkXPress』とか和文PostScriptとか専門的な話になってしまうので、僕個人の話にしぼろう。
 当時「1から10まで」は面倒くさく、時間がかかり、経費もかさみ、処理は重く、専門的で、たいていは作業のどこかで致命的な失敗が起こるものだったので、僕がMacで何をしていたかというと「1から3まで」ぐらいのことをしていた。
 文字を打つ。適当な書体と適当なサイズにする。レーザープリンターで印刷する。
 ステップ2から3の間でそうとう多くのイベントが省略されてる気がするけど、そんなの気にするな! ここからが勝負なんだ!
 そう、印刷した紙を切り貼りして製版するのだ。もともと「写植」でやっていた手間と経費をMacで節約し、あとはいままで通り手動でやろうってわけ。結局これが意外と効率がよくてきれいに仕上がってたってのだから今思うと恐ろしい★1

■ 日本語ワープロの時代

 これよりもう何年かさかのぼると、そろそろ文字を商業品質できれいに印刷することも難しくなってくる。
 基本は32×32ドット文字であり熱転写プリンタだ。高級なワープロ専用機ならもうちょっと手のこんだこともできたはずだけど、僕はパソコン派なのでそういう件は考えない。
 それでも一応ワープロソフトがきちんと標準でついてくるような世の中。まあ今の感覚で言うなら『Word』というよりは『ワードパッド』なみの機能だったけれど、それでも文章を打って保存するのに支障はない。
 かくして論文に、ビジネス文書に、ゲームの攻略メモに、全国各地で(最後のは僕だけかもしれないが)ワープロソフトは使われていたのだ。
 だめだだめだこんな事では! ちゃんと便利に実用になってるじゃないか! もっと悲惨な時代を思い出すのが今回のテーマだ。さらにさかのぼらなくてはいけない。

■ カナ変換のころ

 おおざっぱに言って1985年前後くらい昔になると、日本語入力そのものが難しくなる。
 なんでも高級ビジネスソフトの世界では日本語入力ソフトが実用段階ちょっと前くらいにあったらしいが、こちとら学生というのもおこがましいハナタレである。買った日本語入力ソフトはもちろんテープメディア。
 「日本語入力」といえば聞こえはいいが、それは単文節変換という言葉も知らないイカしすぎたしろものだった。
 たとえば「日」と入力するためには「ニ」と入力して変換する。
 読者はここで「ニチ」の書き間違いじゃないかと思ったかもしれないが、いや「ニ」でいいんだ。すると、「1:二 2:尼 3:弐 4:迩 5:匂……」という具合に「ニ」ではじまる漢字がずらっと並ぶ。何度も変換をくりかえすとそのうち「日」の字が出てくるので確定。このへんは今の漢字変換と近いかもしれないが、「ニ」で変換するというのがポイントだ。
 まず「ニホン」で「日本」に変換できるかといえば、そんなことはない。1文字限定なのだ。そして「ヒ」で「日」に変換できるかといえば、そんなこともない。音読み限定なのだ。じゃあ「ジツ」の「ジ」で「日」に変換できるかといえば、そんなこともやっぱりない。
 ここまで読んで鋭い人なら気付いたろう。これは要するにJIS第一水準の並びに沿っているのだ。JIS第一水準のコード表では(こういうやつだ)漢字は音読み五十音順に並んでいて、「日」の字は「ニ」のあたりにある。同じ文字が重複してはいけないから「ジ」のあたりにはない。
 このソフトでは単純にそのコードの並び順の中に頭文字だけインデックスしてあるのだ。ちなみになんでJIS第一水準なのかといえば、当時のパソコンの漢字ROMがたいていJIS第一水準のコードに従っていたから。つまりハードの仕様にそのまんま合わせただけという、非常に手間のかかっていない仕様なのだ。

 こんなソフトが使い物になるか! と当時の僕が怒りを爆発させなかったのは、これでも相当に便利なものだったからだ。
 普通に「日」の1文字を出すために、漢字ROMのマニュアルを開いてコード表を上から順にたどって、「日」は4670の行のCだから「467C」だ!とJISコードで入力していた日々とくらべてなんと素晴らしいことだろう。ああ、日本語入力ソフト最高!
 ちなみにコードで打つっていうのは、漢字を画面出力するプログラムを組むことと同義でもあって、コードが漢字に変身してくれるわけではない。漢字コードはコードのままでプログラムの中に残っているから、文章を修正したいとき、たとえば「日本語」を「外国語」に変えたいときにはまたプログラムの中のコードを「『日』は467Cだから、ええっと、ここか。あ、これは4673だ。こっちこっち、これを3330に変えて、次のコードを3971に……」とか探してコードを消したり挿入したりしないといけないんだぜ。ふふふふ検索・置換機能なんてありゃしないんだぜ。へへへへ思い出したらなんだか気持ち悪くなってきちゃったぞ。ああ、日本語入力ソフト最高!

 そこまでして何の文章を入力したかったかといえば、これといってなかったとしか言いようがない。こちとらハナタレでもあるし仮に立派な文章を書いたところで、印刷するのはひとむかし前のレシートみたいなガタガタ文字のドットインパクトプリンター。しかも文字は解像度の関係でぜんぶ不自然な縦長。こんなものでなにごとかができるものか。
 僕はといえば、何の役にも立たない本のさくいんを作ってみて、それでよしとしていた。いいの、日本語入力できるということ自体がワクワクする体験だったんだから。体験(エクスペリエンス)はITで重要な要素だってよく言うでしょ? つまりはそういうことなのさ。

■ 入力する日々

 なんの役にもたたない日本語入力はさておいて、それ以外でもキーボードから文字入力することはいくらでもあった。
 ゲームの操作はもちろんだけど、何といってもプログラム入力がメインだ。

 当時、ソフトは買うものでもあったけど「打つ」ものでもあった。
 そもそも時代はソフトを買ってもそれを動作させるためのコマンドはソフトの説明書に書いてないというころ。パソコンを買うということはプログラムの知識が少しはあることと同義だったのだ。なんだか矛盾した話のような気もするけど、本で勉強して知識をつけてから買うのが当たり前だったそんな時代。
 人はみな自作のプログラムを組み、雑誌にはプログラムリストが掲載され、人は競ってそれを打ち込んだ(競う必要があったのかどうかは知らない)。
 このプログラムリストを読みながら打ち込むうちに門前の小僧なんとやらで、自然にプログラムの腕も上がっていったという例も少なくない。僕はといえば何も考えずに右から左に打っていたせいで腕はこれといって上がらず、おかげでタイプミスでエラーが発生してもどこが悪いのかわからないのでリストを上から順に見比べて打ち間違いを探すという、どう見ても身にならないことをしていた。

 これがBASIC言語ならまだいい方で、「PRINT "HELLO"」と書いてあれば「HELLO」と表示する命令なんだとわかるし「PEINT」と打ち間違っていればすぐに見つかる。
 やっかいなのが機械語だ。それは文字通り実行するコンピューターにさえわかっていればいいという言語で、おおむね人間には何のことかわからない。たとえば「00 00 40 00 E0 00 70 00」とかだ。
 本当はこれに逆アセンブルをかけて人間にわかるような文法にすればいいんだけど、雑誌に掲載されている段階でプログラムリストが機械語だともはやどうしようもない。
 機械語は動作が速いしBASICでできないあれこれも簡単にやってのけるんだけど、それを打ち込むつらさときたらどうだ。
 意味の分からない文字列を「23 72 21 E0 A2 E5 2A 3A」とひたすらに何千行も写し続けるという恐ろしい作業! 何千行だぞ、いま手持ちのログインで軽く確認してみたけど読者投稿プログラムの『でぶりん』はけっこう短い方だけど約2000行。『ログイン版ドラスレ』に至っては6000行近くあるぞ! よくこんなの真面目に打ってたなあ、当時。しかも1文字間違えただけで動作しないし。
 それでもあの高品質なゲームを、夢のツールを、打ち込みさえすれば我がものにできるという魅力は大きかったのだ。

■ もっとも恐るべき罠

 恐ろしいのが、たまにある「誤植」だ。いやプログラムリスト自体は正常に動作するプログラムをプリンターで印刷してそれを掲載してるわけだから誤植はめったにおきない(それでもたまにあったのは、あれ、どういう仕組みで起きたミスだったのだろう)。
 問題なのは人間の手を介する方の誤植で、たとえばいちばん単純でいちばん怖いのは機種を間違えるというやつだ。「FM-7専用」のプログラムのはずがどういうわけか「X1専用」と書いてあったり、あったんですよ本当にこれが。
 読者は何も知らずにプログラムリストを打ち込む。ひたすらに打ち込む。何千行も打ち込む。だけど機種が違うんじゃ動くわけないじゃんかこの野郎! と思うのは、1ヶ月がすぎて翌月号のおわびコーナーに掲載されてから。
 その間まったくむだに打ち込み、動かず、じゃあどこかでタイプミスがあったんだと探し、探しに探し、ああいったいなぜ人はこんなにも運命に翻弄されるのだろう。

 実はある程度の「通」であれば、プログラムリストを見るだけで、ははあこれは誤植だなと気付いたものだという。プログラム言語に機種独特のクセがあったり、フォントが微妙に違っていたりして、FM-7用のリストとX1用のリストは明らかに見た目からして違うのだそうだ。
 画面写真を見て、解像度が同じでも「このオレンジはPC-88系にしか出せない」という発色の違いを指摘できる強者もいた。

 この手の誤植で僕がよく憶えているのは、雑誌『テクノポリス』で起きた誤植事件だ。
 よくある機種間違い。ある読者投稿プログラムリストの対応機種をうっかり書き間違えて掲載してしまった。そこまではよくある悲劇だったが、そのミスが発覚してから数ヶ月後のこと。
 とある投稿者が、誤植された通りの機種に完璧に移植したプログラムを送ってきたのだ。
 しかもそのプログラムは、元になったプログラムのデータを極力残して、誤植と知らずに打ち込んでしまった人のデータが再利用できる形に作られていたのだという。

 細かなデティールは憶え違いがあるかもしれないから具体的な機種名等は省いて書いたけど、ウソを本当にしてしまったというまるでよくできた物語のような印象が強烈でいまだに忘れずにいる。
 プログラムリストを手作業で打ち込む文化がなくなってしまった(なくなってしまっていい気もするが、そんな文化)今では考えられない「ちょっといい話」でしょ?

  • 1★念のため言っておくとカンプ(デザイン見本)の段階の話で、本番ではないですよ。
$postmonth = mktime( 9,57,00,7,10,2008); $nextmonth = $postmonth + 86400 * 60; if(time()<=$nextmonth){ echo '

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