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ブリスター・ジョンの『あの頃8ビット・マシンと』

8ビット・マシンが世界のすべてだったあの時代。若者驚愕、中年感涙! 天下御免のオールドゲーマー、ブリスター・ジョン(日本人)による回想録。

私的・RPG夜明け前

 この間の初期「ログイン」誌特集を書いていてふと思ったのは、
ああ、今の子は生まれた時からドラクエがあっていいなあ
 という事だ。
 僕がゲームにさわり始めたころには初代『ドラゴンクエスト』も『ファイナルファンタジー』もなかったし、それを言えばRPGというジャンル自体だってあるような無いような変な状況だったのだ。

■ 情報は踊る

 1984年、日本。
 なんていう書き出しをすると社会派小説っぽくて格好いい感じだが、当時の僕はハナタレでありパソコンもろくに使いこなせていないありさまだった。
 そんな僕の主な情報源はパソコン雑誌やムックの類だったわけだけど、その中でたびたび目にする海外ゲーム事情によれば「『ロール・プレイング・ゲーム』が熱い」という話だった。海外ではロール・プレイング・ゲーム(当時こんな略語があったかどうか微妙だけど、読みづらいから以下RPGって略しますね)が大流行しているしとても面白いんだとかいう。
 日本のパソコンゲーム市場がアメリカに大きく遅れをとっていたこの時代、僕は海の向こうのそのRPGやらいうなんだか知らないがすごそうなゲームに素朴に憧れた。
 ところがそのRPGについての説明は本や記事によって書いてあることがびっくりするほどばらばらで、何がなんだかわからないのだった。

 とにかく魔法を使って敵を倒すゲームだという話もあれば、人々と会話することで謎解きのヒントを得るゲームだという話もあった。ファンタジー世界が舞台らしいかと思えば、ロケットで宇宙に行ったりもするらしい。武器や防具を買ったり見つけたりして強い物に変えれば有利になるともいう。話しかけて強い仲間をメンバーに加えるのだともいう。上から見下ろしたフィールドマップ画面の写真を見たかと思えば、3D表示で迷路が描かれていたこともあった。
 要するに記事によって「これがRPGだ!」という代表作がばらばらだったおかげで、何がRPGなのかかえってぼやけちゃっていたのだった。包括的に語るにはページ数が足りなかったしね。
 そんな中で、ほぼ唯一どの記事にも共通していた情報があった。「プレイヤーキャラが成長する」ということだ。

■ 正しく伝わらなかった経験値

 いま現在でもRPGといえば基本的に「プレイヤーキャラが成長する」ゲームだ。
 おおむね例外なくRPGでは敵を倒すと経験値が手に入り、あるていど経験値が貯まるとレベルアップする。これはRPGの基本システムと言ってもいいだろう。
 ところがこの基本がおそろしくおろそかというか歪んだ形で伝わったのが日本のRPG黎明期。
 さっきも書いたとおり記事スペースが小さかったから、「経験値」というあいまいでまだ日本のプレイヤーになじみのない概念を説明するだけの文字数はたいていなかった(今でもレベルアップしてパラメータが上がるうれしさとか、レベル不足で進めないというのがどういうことなのかを短い言葉でうまく説明するのは難しいよね)。
 経験値について説明してあるのはどっちかというと丁寧なほうで、たいていは「戦いに勝つほど強くなる」なんていうおおざっぱな説明しかしてなかったりした。
 なるほどつまりアクションゲームのパワーアップみたいなもんか、なんて思っちゃうのも読者にとっては無理ない話。特に名前は出しませんが、ファミコン初期にはパワーアップアクションゲームをRPGだって宣伝文句で売ることもたびたびあったよね。あれは今思うにたぶん作ってる方もよくわかってなかったんじゃないかなあ。これコンピューターRPGのもともとの先祖であるテーブルトークRPGが日本ではぜんぜん普及してなかったという理由も一因なのかもしれない。

 話を戻して、ふたたびファミコン前史。

 そのころ僕はいくつかの国産RPGらしきものに店頭デモで触れることができたんだけど、これが見た目こそ『ウィザードリィ』っぽかったり『ウルティマ』ぽかったりしても、プレイ体験自体はRPGというより「迷路攻略ゲーム・敵とのランダム遭遇戦付き」みたいな中途半端なゲームに仕上がっていたりした。
 そんな中、僕が出会ったのが日本初の本格RPGと言われる傑作『ザ・ブラックオニキス』である。
 と書ければ話はドラマチックになるのだけど、どういうわけか『ザ・ブラックオニキス』はついぞ僕の目の前に現れなかった。なぜ、と問われたところで僕にもわからない。この頃の地方ゲーム事情はひどいカオスにあって、どれだけ話題の人気作でもしょせん小さな市場でのこと、地方には入荷しない(むしろ地方では話題にすらならない)こともたびたびだったのだ。

 そのかわりに僕が出会ったのは、「アクション・ロールプレイングゲーム (ARPG)」だ。



■ ロスト・イン・トランスレーション

 そもそものはじまりはあのアーケードゲーム『ドルアーガの塔』(1984年)だった。そもそもこれはARPGなのか? それともただのアクションゲームなのか? そこすらはっきりしないけれど。
 それは見た目的には間違いなくRPGだった。トップビューの迷宮で中世ファンタジックな敵を倒すその画面は、僕が雑誌で見たあのRPGっぽさを完全に備えていた。
 そして主人公も間違いなく成長していた。敵を倒したり謎を解いたりすると現れるアイテムを取ると、主人公ギルはたしかに成長していたのだ。
 なるほど、これがRPGか! という思いは今にして思えば定義の上では間違いだが、当時の心の中では決して間違いではなかったのだ。
 だいいちゲームデザイナーの遠藤雅伸氏はコンピューターRPGの元祖TRPGにも堪能で、そんな彼の人がつくったゲームなら間違いなくRPGと言っていいように思えたのだ(真相はRPGをよく知っている人が噛み砕いてアクションゲームの形式の中に落とし込んだ、ということだったのだけど)。

 そして数ヶ月遅れて、パソコンゲーム『ドラゴンスレイヤー』と『ハイドライド』が発売される。
 どちらもトップビューでしかもファンタジックなフィールドマップで、やっぱりドラゴンやモンスターを倒すゲームだった。
 しかも、敵を倒して経験値を稼ぐと主人公が成長するのだ!
 おお、これこそRPG! という思いは今にして思うと定義の上では、まあぎりぎり間違いではないかもしれない。けどそれはプレイヤーに分かりやすいように徹底的にシェイプされ細かい要素がそぎ落とされた「超簡易版RPG with アクション」だったこともまた事実。
 間違いなく面白いことは面白かったこのゲーム達だが、それがRPGのもつ面白さだったか、はたしてその面白さはたとえば『ウィザードリィ』や『ウルティマ』を遊んで感じる面白さと同じものだったかといえば話は別だ(もっと後になって知ることだけど)。

 売れに売れたこの2本、翌年1985年には『ザナドゥ・ドラゴンスレイヤーII』『ハイドライドII・SHINE OF DARKNESS』と続編が登場して、武器屋で装備を買ったり村人からヒントを聞いたりとますます表面上RPGっぽくなり、おお、これこそRPG! とあいかわらず僕は思ったものの、現在の目で見ればそれはRPGというよりはアクションゲームのパワーアップ要素をレベルや武器にすりかえた、というくらいのバランスでデザインされていたのだった。
 アクションゲームとして面白くするために切り捨てなければいけないRPGの面白さというものはあるだろうし、それはARPGの進化の道筋として正しかったと思う。事実『ザナドゥ』も『ハイドライドII』もたっぷり楽しんだよ僕は。
 面白けりゃそれでいいじゃん? いやそれはもちろんそうなんだけど、RPGにはRPGのよさがあるわけで、それを享受できないのはやっぱり悲しいじゃない。

 そんなこんなの爛熟と狂乱の時代、『ウィザードリィ』日本版が登場したのは1985年の暮れ(元祖アメリカ版発売が1981年だから実に4年後!)。ようやく日本でも正調というか元祖というかのRPGが遊べる環境になった。こうしてやっとステータス値が1上下するだけでどれだけ戦闘がドラスティックに変化するか、1つの魔法を憶えているかどうかで基本戦術にどれだけ差が生まれるか、RPGの真髄とも言えるその概念を理解したのだ。
 僕がたどった順序がどれほどめちゃくちゃだったか、ここまで書けばわかってもらえると思う。
 たぶん同時代を過ごしたゲーマーなら、似たような筋道をたどった人は多いだろう。

■ そして伝説へ…と簡単にはいかなくて

 それから半年ほど後に発売されたのが『ドラゴンクエスト』(1986年)だった。
 おお、これこそRPG! と、言うのはたやすい。それはもう『ウルティマ』のフィールド冒険システムと『ウィザードリィ』の戦闘システムのいいとこどりで、なおかつ初心者でも簡単に理解できるようシナリオ・システムすべてにおいて心を砕いて作られていて、しかも『ウルティマ』にも『ウィザードリィ』にもなかった英雄物語としてのドラマ性という独自要素をそなえた上に、RPGといえば高難度が当然だった時代にあえて難易度をおさえつつ要所要所にてごたえを残し、はあはあこれだけ言ってもまだ続きがあるぞ、モンスターグラフィック(原画)は人気絶頂の鳥山明先生で、あの重鎮すぎやまこういち先生が作曲までしていて、信じられないことにお値段てごろ! こんないいRPGこの世にあるか?
 と、言うのは本当たやすいんだけど、これは現代の冷静な視点であって、当時の僕はアクションRPGの洗礼を受けてからウィザードリィの洗礼を受け直したというややこしい遍歴をたどったあげく、いまだ『ウルティマ』は遊んだことがない(日本版発売はまだこの翌年だ)というハナタレである。ドラクエを遊んでもいないくせに軽く見ていたことをここに告白しよう。

 奇妙な話に聞こえるかもしれないけれど、当時パソコンゲーマーは、後発のファミコンを軽視しがちなところがあった。それが僕にかぎらずわりとよくある思考だったことは、当時のパソコン雑誌の読者欄やファミコンに対する記事の扱いを見てもよくわかる。
 たしかにパソコンはプログラム指向な未来的ガジェットでついでに高価だったのに対して、ファミコンといえば間違いなくおもちゃの系統だった。もちろんゲームの歴史上ではパソコンの方がはるかに先輩だったし、解像度や計算処理能力でもパソコンにはるかに分があった。あるいは「きさまらにロードに10分以上かけて読み込んだあげくハードの限界でガタガタスクロールなPC版『ゼビウス』をそれでも全肯定していたわしらの気持ちがわかるか」という、よく考えるとさかうらみ以外のなにものでもないうらみもあったのかもしれない。
 なによりこれまで書いたとおり、日本のパソコンゲーム界にはすでに独特のARPG文化が育っていて、そこに突然現れたドラクエはたしかに異質な存在だったのだ(同時期の『ウィザードリィ』はあくまで昔の作品の移植版で、温故知新の意味があったので少し話が違う)。

 ファミコンで遊べるゲームなんてたかが知れているだろう。ましてアクションRPGでもなくRPG。それなら僕はパソコンで『ウィザードリィ』を遊ぶよ。そんな風に考えていた僕を打ちのめしたのは、友達の坂下君の家で初めて見たドラクエだった。坂下君が遊んでいるそのゲーム画面に「これは何かが確実に違う」と直感した僕は、土下座する勢いで1日だけドラクエを借してもらった。
 その翌日、もう何日か貸してもらえないかそんなわけないだろ早く返せいやお願いだからもう1日だけいいから返せ式の心あたたまるやりとりがあって2人の友情には亀裂が入りかけたが、ほどなく無事に坂下君はクリアして僕は例によって土下座する勢いで借り受けたのだった。

 ことRPGに関しては日本のゲームシーンは、スタンダード不在のまま異様な恐竜的進化を続けていった。遅まきながらくさびを打ち込んだのが新参者のファミコンソフトだったというのも奇妙な話といえば奇妙な話だ。
 ARPG文化はそれから後、ドラクエが生んだRPGの波(『ファイナルファンタジー』を生み、『ヘラクレスの栄光』を生み、『ミネルバトンサーガ』も生んだ!)に背を向けるようにマニアックな進化の袋小路に入るものあり、逆にどん欲にドラクエのスタイルを吸収しようとするものあり、「とにかく最先端を」とビジュアル表現に特化するものあり、ある意味デタラメなバージェス動物群的進化をくりひろげつつ、やっぱりバージェス動物群的淘汰を受けたりしていった。

 最終的にあのARPGの元祖的存在『ドラゴンスレイヤー』までもがシリーズ6作目にしてアクション要素を捨ててドラクエタイプに回帰(?)したのが1989年。『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』が発売された翌年のことだ。
 これはARPG文化が掲げた一種の白旗だったのかもしれない。そのころ僕はといえば、ファミコンのRPGにすっかり夢中になっていた。

 スタンダード不在のままめっぽう混乱した初期和製RPGの歴史を過ごしてきた僕はどうしてもこう考えてしまう。「ああ、今の子は生まれた時からドラクエがあっていいなあ」と。

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